1999年2月16日(火曜日)
昨日の続きだが、D社からの依頼は「電話」関係だった。つまり電話の「インフラ」だったわけだ。
気絶はしなかったものの、ちょっとこけたかな。前にも書いたが「電話」はあまり得意じゃない。交換機ってどういうふうに動くのか全然知らない。たとえばハンドオーバの技術的詳細も知らない。電話の専門用語も一種独特だがよく知らない。
幸いなことに、それほど専門的内容ではなく、携帯電話の基地局に関する一般的な内容だった。用語集もあるのでそれを見ながら訳している。
というわけで、今まで書いてきた日記ですが、今日から場所を移すことになりました。移動先は、
です。これからもよろしくお願いします。
1999年2月15日(月曜日)
D社から翻訳依頼が来た。ん?D社・・・ おっと1年半ぶりの仕事だ。翻訳をはじめた年には仕事をもらっていたが、3回か4回連続で断って以来 仕事をもらっていなかった。
断った理由は、
などなど、とてもタイミングの悪いことが なぜか偶然連続して重なったためだが、D社には印象が悪かったのかもしれない。あるいは、その前に訳した私の仕事が不出来だったのかもしれない。あとで考えてみると、連続して断ってはいけないという教訓だ。
もちろん、お断りするときには できる限り丁寧にお断りしているつもり。メールだと顔が見えないので、変な断り方をすると ぞんざいなやつ、と思われかねない。メールでは慎重に言葉を選んでいるつもりだ。
が、いずれにしてもD社は久しぶり。 どうも かなり急ぎの仕事らしい。きっと翻訳者の手配がつかなかったのだろう。
ところで、翻訳の分野に関して、依頼のメールには「インフラ関係」としか書かれていなかったので、返事のメールには「引き受ける」ということと「コンピュータ関係のインフラ(ネットワークとか)ですよね?」と確認の一文を入れておいた。
これで、ほかの「インフラ」のことだったらどうしよう。「インフラ」って普通 何のことを言います??
「インフラ」っていうのが建造物とか道路関係とかだったら気絶してしまうなぁ。
1999年2月14日(日曜日)
スチールラック復讐戦。
今度は、その、近くのホームセンターで買った。そう、もちろん東急ハンズの半額で。
これで、そのホームセンターを普通の値段とすると、2 倍の額を払って損していたのが 1.5 倍の額を払ったことになった。数字のマジック。どこかで使えそうだ。
1999年2月13日(土曜日)
動物園に行った。
寒いのに、なんでこんな時期に動物園に行くの? と思われる方も多いだろう。私もそう思った。寒かった。なんでこんな時期に動物園に行ったのだろう。
ところで不思議なことに、この寒いのに、象さんもキリンさんもトラさんもライオンさんも元気そうだった。こういう人たちは もともと亜熱帯かどこかに住んでいるのではないの?? 不思議〜。
逆にペンギンさんは寒そうにじっとして動いてなかった。なぜ〜。
ところで発音の難しい英語を一つ。
かば - hippopotamus
昔、アメリカ人の友人に教えてもらって発音の練習をしたが、マスターできなかった。
hippopotamus の難しさと、MacDonald の難しさが同じだ・・と思うのは私だけ??
1999年2月11日(木曜日)
このホームページを移動することになった。
コスモワークスという翻訳会社の社長 河野さんから、河野さんらが主催するホームページに来ないかとお誘いを受けたので、そちらに移動することにした。
そちらで今までと同様、日記を書く予定だ。
ところで、移動することの○と×を挙げてみよう。
○ 今までよりも多くの人に読んでもらえる。業界の人と知り合いになれる機会も増える(?)。毎日書こうという気になる。今後また新たな展開もあるかも(?)。
×自分の意思でホームページの変更はできなくなる。毎日書かなければならないという強迫観念にとらわれる。やめようと思っても簡単にはやめられない。
いろいろ○と×はあるが、こういうところで書かせてもらえることは私にとってはラッキーなことだと思う。翻訳をはじめたのも、何か新しいことをやりたい、今までとは違うことをしたい、という気持ちからだが、今回のように新しい場所で書くことで、また新鮮な気持ちになれるし、今後また何か違うことに出会えるかもしれない。
というわけで、みなさん、今後も読んでくださいね。
1999年2月10日(水曜日)
携帯電話を代えて通信カードが使えなくなったので不便だ。外出しているとメールを読むためにISDN公衆電話を探さないといけない。メールはJ-Phoneに飛んでくるのだが100字程度しか受け取れないので、用件を端的に書いていないメールは なんのことかわからない。
それで、近くの人には、「急ぎメール100字以内の令」を出しておいた。(「令」というより お願いなんですが。)
1999年2月8日(月曜日)
マニュアルや記事を見ていると「提供する」という言葉がよく見られる。どうも私にはこの「提供する」が あまり普通だとは思えないので自分が翻訳するときにはわざと使わないようにしてきた。
もちろん「サービスを提供する」は良いが、「柔軟性を提供する」や「〜機能を提供する」には違和感があった。英語の「〜 provide 〜」から来ているのだと思うが、日本語だと「柔軟性を備える」とか「機能を備える」とかになるのでは? とずっと思ってきた。
「究極のマニュアル翻訳」(?) を目指す私は気になって調べてみた。何で調べたかというと、「SUPER ASCII」最終号の付録CDに収められている過去2年間の記事からだ。
で、「『提供する』も頻繁に使われている」という結果となった。とくに「〜機能を提供する」はかなり使われている。
というわけで、また一歩、「究極のマニュアル翻訳」に近づいた(んな わけないか)。
1999年2月7日(日曜日)
整理に燃える私は、このあいだ、東急ハンズでスチール製の棚を 15,000 円で買った。今日、近くのホームセンターで、まったく同じ棚を 7,800 円で売っていた。 ショックから立ち直れない。
1999年2月6日(土曜日)
久しぶりにNiftyにアクセスしてみようと思って、ふと気がついた。そう言えば、Windows 98にアップデートしたあと「Niftyマネージャ」をインストールしていない。
さらに致命的なことに気がついた。
そう言えば、パスワードがわからない。
Niftyは数週間に一度程度しかアクセスしていなかったし、アクセスするときにはNiftyマネージャを使っていてパスワードはそこに入力しているので覚えていなかった。
こういう場合はNiftyサーブに連絡すればいいのだろうか。
1999年2月5日(金曜日)
先物取引の会社から電話があった。「先物」を買え、と言う。つまり「大豆」とか「とうもろこし」とか「金」とか「パラジウム」とか・・・
うちの会社に電話があったのだが、何かの名簿で調べて電話をしているようだ。はじめは先物とは言わずに「ぜったいに儲かる話がある」と言う。
「興味あるでしょう?」と聞くので、私は「いや〜、すご〜く興味あります。」と答えると、先物取引の勧誘員はとても喜んで猛烈な速度で喋り始めた。
「あの〜・・・ ところで、なぜ ぜったいに儲かると言えるんですか?」 と私が聞くと、かなり長々と説明したが要約すると、今は底値であとは上がるしかないからだという。さらに「底値かどうかの判断はどうやってしてるんですか?」と聞くと、何やらよくわからない答えをした。さらに「具体的なデータを挙げて欲しいんですよ。なぜ底値なのか。なぜ上がると言いきれるのか。 どういうデータから上がると判断しているんですか?」と私。
「それは今までの経験とノウハウが・・・・」と先物勧誘員。
「経験とノウハウがあると言うのは何らかのデータに基づいて判断するわけでしょう? 判断基準もあるんでしょう? それを知りたいんですよ。」 とさらに私。
私が追求を繰り返していると、先物勧誘員はいろいろな意味で疲れてきたようだ。「(先物を)はじめる気はほんとうにあるんですか?」と聞くので、「ぜ〜〜ったいに儲かるんだったら もちろんはじめますよ。ぜったいに儲かるという具体的な根拠を説明してほしいんですが。」と言うと先物勧誘員は電話を切ってしまった。
まぁ先物取引も面白そうといえば面白そうだ。2004年に規制緩和が実施されて、今ある4分の3の不良先物会社がなくなって、手数料も下がって気軽にできるようになったらチャレンジしてみようかな。
「先物取引」自体は、言わば賭けごとのようなものだが、自分が持っているお金に対して動かせる額が大きいので、大損することもあれば大儲けすることもある。そういう意味では、負けることもあれば勝つこともある公平なギャンブルだと思う。しかし、今の日本の先物取引市場に はびこる業者は、大半が不良業者なので ほとんどの場合が大損する(大損させられる)。しかも金額が大きい。素人は手を出さないほうがいいと言われるのはこれが理由かもしれない。
ところで今日は仕事が暇だったのでついつい相手をしてしまった。
「悪徳商法マニア」の私に電話をしてきても無駄だと思いますよ。> 先物勧誘員さん
1999年2月4日(木曜日)
今日はマイクロソフトのホームページを しげしげと眺めていたのだが、面白いことに気がついた。基本的には英文の翻訳なのだろうが、ページごとに翻訳の品質が違う。私の目から見て、「やっぱりマイクロソフトはちゃんとしてるね」レベルから、「おいおい、訳漏れ(英文がそのまま残っている)があるよ」というものまで。
ちなみに訳漏れがあるのは、Microsoft Proxy Server のページ 。
このページの中の「Integration with the Windows NT Server operating system」 ってタイトルの英文がそのまま残ってますよ。「Windows NT Serverとの統合」とか訳しておいたほうがいいんじゃないですか> マイクロソフトさん
1999年2月3日(水曜日)
私の本業は、簡単に言うとコンピュータを作ること、でもある。私はどちらかというとソフトウェア寄りなので、ソフト屋の見地でハードの設計をする。
昔のコンピュータ作りは、ハード屋さんが作ったハードにソフトを載せる、という開発スタイルが多かった。ハード屋さんの力が強かったと言える。こんなハードを作るからソフト屋はそれに合わせて作れよ、という感じだったが最近は、ハード屋さんとソフト屋さんが共同で設計することが多い。ソフト屋さんからも「こういうハードを作らないとだめ」と要求を出す。
それで、このソフト屋さんとハード屋さんの関係だが、だいたいどこの会社に行ってもハード屋さんとソフト屋さんの仲は良くないのでは?
ソフト屋さんから、DMAを積めとか、XXXというチップにしろとか、フレームメモリはプレーン型にしろとか、デバイスのアドレスを飛ばすなとか、ROM空間は上位のほうに上げてくれとか、いろいろな要求を出すと、ハード屋さんからは、そんなチップはだめとか、DMA積むと回路が複雑になるとか、デバイスアドレスをくっつけると余計にデコードしないといけないとか、反論される。
で、仲が悪くなる。
ハードにソフトを載せて動かし始めるとバグが出て、ソフトの問題かハードの問題かで たいがい もめる。「ハードのせいだっ」 「いいや、ソフトだ」 「ぜ〜ったいにハードがおかしい」・・・
簡単なバグならすぐに決着するが、不可解なバグだと責任転嫁の応酬になることもある。
横で見ていると「夫婦喧嘩」のようなものだ。最近 私はレフェリー役が多いなぁ。
1999年2月2日(火曜日)
翻訳会社から源泉徴収票が続々と送られてきた。今年は翻訳以外の寄稿もしたので出版社からも送られてきた。
全部を足すと結構な金額だ。こんなにもらったのにそのお金はどこに行ってしまったんだろうかと自分でも不思議に思う。
しょうがないので家計簿をつけることにした。さっそく Excel で家計簿を作った。作ったといっても「食費」とか「衣料品」とか項目をいくつか作ってそれを足し算して合計するようにしただけ。そのうち気が向いたらバージョンアップしよう。
1999年2月1日(月曜日)
身辺整理にいそしむ私は、ついに翻訳の原稿も捨てることにした。思えば2年前に、ひょんなことから翻訳をはじめて以来、紙でもらった原稿や参考資料などで何千枚かはあると思う。
捨てようかどうしようかと長いあいだ迷っていたが、この機会に捨てることにした。
(今日は眠くなってきたのでこの辺で・・・)