「悪徳警察官撲滅委員会」の略年譜
以下はすべて1999年内の歩みです。


7月20日
当局にHP開設の意思を通告し、その是非を問う議論を呼びかける。
この時、関係者の実名記載の問題如何も問い合わせる。
しかし以後、当局は私のこの申し出・問い合わせを黙殺し続ける。

8月17日
日本ジオにて、「悪徳警察官撲滅委員会」誕生。
ただし、この段階では簡単な説明と、訴訟資料を掲載するという試作段階だった。

8月30日
事件の全容を詳細に訴える内容に本格的にリニューアル。
リニューアルと同時にアクセス数が飛躍的に増加した。

9月4日
掲示板での活発な議論に応えるため、第1回「みなさんへのメッセージ」をUPした。

9月8日
この頃には本サイトは、開設者の予想を超える反響を呼んでいた。
これは私個人の問題ではなくなってきていると実感した開設者は、
当局に本サイトに関する連絡係を設置して欲しいと要請した。
しかし、当局はこの申し出を黙殺し続けた。
このころ当局の弾圧の可能性を考慮して、米国サイトにミラーサイトを設置する。

9月13日
日本ジオと掲示板にアクセス制限をかけられました。
掲示板はすぐ解除されたが、日本ジオのアクセス制限は約1週間も続いた。
さらに同じ13日、当局は本サイトへの反論をHPに掲載した。
以後、本サイトは米国ジオにて再展開。

9月17日
裁判資料をUPした。
この頃、私人の実名記載をめぐる掲示板での議論を踏まえて、
私人の関係者の個人情報を一部伏せるに至る。

9月27日
この頃より、急遽荒らし屋の一団が来訪し、掲示板を荒らし出す。

10月1日
荒らし被害の尋常でない状況により、、掲示板を閉鎖に追い込まれる。
同時に荒らし屋のIPを公開して、情報公開を求め始める。

10月21日
荒らし屋の身元が判明した場合のHP上での情報公開に関して、当局に問い合わせをする。
しかし当局は、この問い合わせを黙殺した。

11月5日
第2回「みなさんへのメッセージ」をUPした。

11月12日
この頃、当局者が開設者の情報を第三者に漏洩させていたことが発覚。
閲覧者からの通報により、この事実を知った開設者は当局者に厳重に抗議した。
しかし、当局者は逆に「逮捕するぞ」と開設者を恫喝した。

11月13日
こうした当局者の行動及び言動を当局に対して厳重に抗議した。
同時にマスコミ各社・各人権団体・政党などにも告発文書を散布した。
HP上にもこの件に関して「緊急告知」をUPして、当局を激しく非難した。

11月19日
当局幹部と直接対談。
(予想外にも?)率直に本音を話し合え、有意義な会合であった。

11月21日
当局幹部との会談の模様を「警視庁との会談の模様」としてUPした。

11月26日
当初から考えていた区切りとして「一応のピリオド」をUPした。

11月27日
荒らし屋に関してもきちんと決着をつけるべく「荒らし狩り戦記」をUPした。
勤務先が判明した者に関しては、勤務先に通告し、
本人への厳重注意を求め、本人からも謝罪させた。
また一向に反省の色を見せず逆に食ってかかる荒らし屋については、
そのあまりに反社会的な態度に鑑み、顔写真の公開に踏み切った。
(ただし11月30日の1日のみの限定公開)

12月1日
「悪徳警察官撲滅委員会」閉幕。