新選組やおいで、よく耳にするのが「土方×沖田」というカップル。
確かに、これを「絶対違う」とか「おかしい」とか言う権利は私にはないです。
そもそも、こういうカップリングというのは、各自の好みですからね。人それぞれ、自由ですものね。
だから、私がいかに気に入らないとはいえ、文句を言う筋合いは一切ないんです。
が、最近、某雑誌で非常に許せないエッセイを見ました。これは、いくらなんでも「文句を言いたい!言える立場にあるぞ!」と思い、ここに取り上げてみます。そのエッセイを書いた某作家さんは、沖田ファン。
そして、「土方×沖田」である理由を、こう述べています。・歳三は沖田に優しすぎる。(池田屋事件の後の、歳三の、谷と沖田に対する態度の違いを挙げている)
・歳三と山南が不仲になったのは、山南と沖田の仲の良さに、歳三が嫉妬したから。
・清河や芹沢は沖田を可愛がっていた。沖田はそれほど男受けがいい。
・沖田には女の影がない
・歳三の句、「知れば迷い……」がアヤシイ。
・箱館で、歳三は沖田似の少年を小姓にしている。
・歳三が死ぬときに、沖田の名を呼んだ。今回のエッセイで問題なのは、この作者、なんとこれを殆ど「史実」と言っているんです。
いったい、何を持って「史実」などと言うのか。そんな事実がどこにあるのか。
これは全部(小説などでの)作り事であって、まったくこれは事実(史実)ではありません。この中で、史実は一つもありません。全部「嘘(作り事)」です。
自分の妄想に都合のいいことを勝手に作り上げるのは自由ですが、こんなことを「史実」と公の場で言われてはたまりません。誤解を生じます。大嘘です!★「歳三が沖田に優しいという記録は一切ない。むしろ二人の関係はクールだったように思える」
★「山南は、近藤と歳三の局長−副長ラインに嫉妬したのであって、沖田のことは一切関係ない」
★「芹沢や清河が沖田に目を付けていた事実はない。むしろ清河は歳三に目を付けていた(同門の輩を斬ったから、という話がある)」
★「沖田には、後家とか茂里の娘などとの噂があるし、実子がいたという可能性も充分ある。更に、例えば文久3年4月には、妓を買いに行ってる事実もある。(詳細は、本邸『新選組百科事典』の『新選組事件簿』の項をご覧ください)」
★「箱館で、沖田似の少年を小姓にしていた事実はない。これも小説にかぶれているだけ」
★「死ぬときに、歳三が「総司」と叫ぶわきゃあ、ねぇだろーーっ!そんな事実は、一切ないっ!歳三をバカにするのも、大概にしろーーーっ!!!ぜいぜい」仮にも、「物書き」ならば、「もう少し勉強せい!」と私は言いたい。私も「物書き」の端くれだが、こんなレベルの人間が「作家」と称しているなんて、情けなくて涙も出ない。
勿論、こういう推測を「楽しむ」のは勝手だが、これを「事実」と書かれては、たまったものではないっ!沖田を「受け」にしたい沖田ファンが、「攻め」として選ぶのが、歳三というケースは多い。
歳三のことは何も調べていないくせに、「仲がいいから」「歳三は色男だから、沖田の相手に最適」という根拠のないことでくっつける。史実の歳三はどう考えても「攻め」タイプではないのに。
色白で、撫で肩で、男谷道場では(外見が)「女のよう」と言われ、女性的な文字を書き、勇先生の介添えをし続けた歳三。
そんな歳三のキャラを少しでも生かしているのならともかく、180度、正反対にねじ曲げた挙げ句、沖田の相手をさせられては、歳三ファンとしては許し難いものがありますよ。マジで。
沖田のためなら、沖田に都合がよくなる為なら、沖田さえよければ、周囲の人物がどうなろうが、どうねじ曲げようが、「知ったこっちゃねぇ」という自分勝手なのが「盲目的ミーハー沖田ファン」。
いくらカップリングが自由とは言え、私の歳三を勝手に、メチャメチャに、造り変えないでほしい。
……って、歳三にしてみれば「攻めでも受けでも、俺はいやだ。いい加減にしてくれ」ってとこでしょうけど……(^^;)実際ね、歳三と沖田の「仲が良かった」なんて事実は、どこにもないんですよ。微塵もない。
そもそも、あの沖田の性格や、歳三との兄弟のようなやりとりは、すべて司馬先生の創作なんですよね。司馬先生ご自身「あれは私の創作なのに、他の作家がみな、真似ている」 と苦笑されていたそうです。もっとも、
「そんな事はわかってる。実際は、全然仲良くなかったってことも知ってる。でも、私の総ちゃんには、やっぱり土方さんしかいないのよう」
なんて人なら、仕方ないやね。あまり、というか、絶対お友達にはなりたくないけど、私はそれを阻止する権利はないですね。ただし、私の愛する歳三を、沖田の都合で、滅茶苦茶に作り替えられたという怒りと恨みと不快さは、思い切り露わにしますが。
でも、今回の某作家のように、事実でも史実でもないのに、他で読んだ虚構の小説を事実と思いこんで、「これは史実だから、私は、土方×沖田」なんて言い張る人は絶対に許せませんな。作家なら、もう少しきちんと勉強して欲しい、そして、事実と小説の見極めはつけて欲しいですな(ため息)小説ではなく、「史実で」、歳三と沖田をくっつける要素があるのなら、言ってみろ、と私は言いたい。
「史実なんか関係ないじゃん。所詮やおいなんだから」と言う人は、まさかいないと思いますが念のために言っておきましょう。
「所詮やおい」とは言え、実在の人物を勝手に借りて、漫画や小説を書いていることには違いないんです。
ただでさえ、こっちは遊ばせて貰っているという申し訳なさがあるんですから、更に追い打ちをかけるように人物の事実まで根こそぎ否定し、誤解されるようなことはしないように気をつけるのが筋でしょう。ということで、史実を重視する限り、歳三と沖田が特別に仲が良かった、という事実は、まったく見えてきません。
例えば、勇先生と歳三の仲の良さに関しては、多くの証言が残っています。その仲の良さを語った同時代人は、一人や二人ではないんですね。
けれど、歳三と沖田に関しては、些細な証言もエピソードも、殆どないのです。
かと言って、一応、共に試衛館出身ということで、まったく他人行儀でもないでしょうけど。沖田が植木屋にいたころも、勇先生は何度が訪ねていて、共に泣いたという話もあるくらいだけれど、歳三が沖田を訪ねた形跡はない。
沖田が「近藤先生はどうされたでしょう」と気にしていた記録はあるけれど、歳三のことを気にしていたという記録はない。(まぁ、長いつきあいだから、心配しなかったわけではないだろうけど……)歳三と沖田。「仲が悪い」という証はないが、新選組を調べ尽くしていると、どうもこの二人、「仲が良かった」とは、決して思えないのです。
(98年春)